2013年11月23日(土) 熊野古道散策(粟生頭首工〜三ツ谷池) (車、徒歩)
粟生頭首湖の遊覧と頭首工周辺の散策(大台町粟生)を終えると引き続き熊野古道散策への出発。その前には、大台町ふるさと案内人の会を発起し初代の会長をつとめられた 上野 進 さんから詳細な解説をいただいた。
この辺りの熊野古道は宮川に近い方から三本が確認されているようで、ここからは宮川に最も近い古道を歩いた。ちなみに私が5月に熊野古道を歩いた時には宮川から最も離れたルートを歩いていた。
【参考】
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(下楠から下三瀬まで) 2013年05月25日(土)
宮川用水粟生頭首工管理事務所を出ると国道42号粟生交差点方向へ進むと
次の丁字路を左折した。左折する際に振り返ってパチリ。次の写真の左後方から古道は続いていたと思われるが今は歩けないそうだ。
国道方向はこんな感じ。
熊野古道へ進むと
右手に小社があった。お参り。
右手方向はこんな風景。
ここで、180°パノラマをパ〜〜チリ。(左方向へ歩いている)
そしてアスファルト舗装された道路を直進するとその道路は右へ曲がり直進は土道となった。
こんな感じ。ここから本来の古道の雰囲気を楽しめる。
左手に茶畑が見えると
茶畑の先を左折した。
さらにその突き当たりを右折すると
ひとりがやっと歩けるくらいの畦道を進んだ。
畦道の突き当たりでは斜面を左に下り、獣害防止用の扉から森の中へ入った。
贅沢な落ち葉のふかふか絨毯を楽しみながら先へ進むと
森が途切れて広場が現れた。近くには「ゆりの郷」の看板があった。
なお、この近くは城跡だそうだ。
この広場で左へ鋭角に折り返すと先へ進んだ。
苔むした橋を渡ると太陽の眩しさを感じた。
その先には石垣の上には
小さな祠が祀られていた。
さらに進むと水場跡がありその先は專念山 稱名院の裏手に通じているが道がない(荒れていて通れない?)ためここはエスケープとなった。
水場跡の手前左手にある坂道を上ると
右手方向にあるお寺(稱名院)を目指した。
その際、ふと左手を望むと屋根が落ちた古民家が見えた。
そして、まず到着したのが專念山 稱名院。こちらからお参り。
稱名院を後にして先へ進むと
左手に鳥居と祠が見えた。
集団から離れて急いで寄り道。お参り。
元のルートへ戻ると左手にこの風景。
さらに、通り過ぎてから振り向いてパチリ。これは面白い。道路に横切られた水路はポンプを利用して右から左へと流されているのか?
集団のペースを乱さない程度にひとり寄り道を繰り返していると高奈八柱神社に到着。
社前でお参りする余裕はなかったので、こちらから遥拝。
高奈八柱神社の近くにある掲示板、その隣には「長ケ4km→」の案内板があった。
(※ 翌日に三瀬の渡し場へ向かった時にも「長ケ」の案内板を見た。)
高奈八柱神社と案内板方向をパチリ。この辺りの全体感はこんな感じだ。この風景を背にしながら
国道42号へ歩き始めると
右手には大小の祠が並んで祀られている。ここでもお参り。ほんとに祠が多い地域だ。
この後は風景の変化を楽しみながら進み
国道42号へ出た。
「あっ、ここ知ってる。」そうです、国道42号沿いにある道標地蔵。
説明板によると、この地蔵には「左 山田松阪道 右 高瀬道」と刻されているそうだ。ところでこの道標はいつ頃のものなんだろう? その年代によればもしかすると「阪」は「坂」なのかもしれない。
20名余りの集団が一気に国道42号を横断するとその先にある樋口橋を渡った。ここからは私が歩いた熊野古道を逆行した。
なだらかな坂道を進むと
懐かしい道標を発見。
その前にはまちかど博物館「奥伊勢」がある。建物の右手にある銀杏がきれいだった。
奈良井組作業場の前を過ぎ、
三谷橋を渡ると
その先には八柱神社。
前回熊野古道を歩いた時はここで遥拝、結局今日も遥拝となった。
この先は分岐を左へ進むと
次の丁字路で左折だ。
切り通しを抜けると・・・。
道なりに右方向へカーブすると前方には紀勢自動車道の高架が見える。その下にあるのが三ツ谷池。
三ツ谷池到着だ。
この後は、三ツ谷池公園ふれあい広場での昼食となった。
【 20131123 の記録 】
- 新嘗祭(外宮)奉幣の儀 2013
- 紅葉の長原神社(度会町長原)
- 新嘗祭を前にした野原神社(七保神社)(大紀町野原)
- 粟生頭首湖の遊覧と頭首工周辺の散策(大台町粟生)
- 熊野古道散策(粟生頭首工〜三ツ谷池)
- 熊野古道散策(三ツ谷池〜紀勢自動車道 奥伊勢PA〜粟生頭首工)
- 紅葉の順禮手引観音(柳原観音) 千福寺(大台町柳原)